說曹操
「曹操なんか嫌いだ!」
僕はつい声を張り上げていた。
今日は何時もの三国志仲間の友と二人で同人誌のイベントに出掛けた駅迄の帰り道途中にあったオープンカフェでアイスコーヒーを飲んでいた。大きな声に我ながらビックリしてつい辺りを伺ったが、街路樹の茂った木漏れ日の下に置かれたテーブルは沢山の人たちで賑わっていたので、誰も僕の大きな声に気を止める風でもなかった。ホッとして話を続ける。
「だってアイツはヒドいヤツだって思わないか?」
「まぁ確かに僕もそうは思うけど。でも君はよほど曹操が嫌いなんだなぁ」
友も曹操に良い印象は抱いていないがつい嫌いだと言ってしまう僕を見て、氷がほとんど溶けているコップの中に少し残って薄くなったコーヒーをストローでかき回しながら呆れたように笑っていた。
魏呉蜀それぞれの国のファンは自分の好きな国を贔屓目で見てしまう。自分の好みがついつい出てしまうのはどうしようも避けられない。僕は蜀ファンだからだろうが曹操のやり方は何というか……どうも好きにはなれなかった。同人誌のイベントではアニメや映画の影響もあって曹操ファンは多く見受けられて何処のスペースも人気があった。だからかえってそれが心の中で癪に障って、ついぼやいて居たのだ。
友の返事に答えようとした時、隣の席に座っていた男性から興味深そうに声を掛けられた。
「君たちはそんなに曹操が嫌いなのかね?」
短いロマンスグレーでいかにもモダンな雰囲気の服に身を包んだ、背が低く痩せ型の目の細い男性が更に目を細めながらにこやかに僕たちに笑いかけている。が、僕達はつい訝しげに眉を細めてしまった。
「いやいや怪しい者ではないよ。つい君たちの話が聞こえて来て、私も三国志が大好きだから声を掛けてみただけだ」
驚いて見つめる僕たちをなだめるように男性はそう言った。
「そこの空いている席に座ってもいいかね?」
「え?……ああ……どうぞ」
空いている椅子に座りたげそうに返事を待っている様子を断る事も出来ず友がそう告げると、男性は微笑みながらさっと腰掛け、店員を呼んで元の席のコーヒーを引いてもらい、ホットコーヒーを三つ注文した。
しばらくして運ばれて来たコーヒーをブラックのまま口にしながら、男性は先日公開されていた映画の話をし始め、僕たちに感想を聞かせて欲しいと言った。僕は趙雲が好きなので趙雲の活躍した感想を楽しく語った後、男性も感想を話し始めた。
「あの映画は私もいい映画だったと思うが、しかしあれでは曹操が完全な悪者だ。君たちは曹操が悪者でしかないと思うかね?」
「作る人の好みになるのは仕方がない事ですよ」
僕は男性の語る映画作品が好きなのでそう呟いていた。
「それはそうだ。監督の視点であり世界観が描かれるのだからね。しかし幾ら女好きの曹操でも直接見たらショックを受けて少し落ち込むだろう」
「曹操が映画を見て落ち込むんですか?」
「曹操だって人の心は持って居るだろう」
「自分が気に入った者は大切にしたけど気に入らないと直ぐに斬らせていた位ですよ。曹操が死んだ時にホッとした人がいっぱい居たんじゃないかな」
僕は突っかかるようにして男性の言葉に答えたが、ハタと気が付いた。しまった!男性はその後会話を止めてしまった。幾ら何でも感情に任せて酷い事を言ったと後悔した。
しかし次の瞬間……男性はフッと笑って僕を見つめた。
「曹操は死んではいないよ。誰も信用しないだろうが、彼は生きて居る。君たちが三国志を好きだから話している事だが」
自信たっぷりで告げた男性を僕たちはいぶかしげに見つめた。僕たちは思いっきりからかわれていると思った。さっきの僕の返事のせいだろうか。
「何を根拠に言っているんですか?」
「頭痛持ちで脳の病気が原因で亡くなったというのがフツーでしょう」
僕の後に空かさず友が詰め寄った。それが定説だと言われているからだ。勿論中国が認めた歴史書に書いてある事だが。
「確かな記録だろうが、君たちは曹操が死んだのを直に見たわけでもあるまい。故に“絶対に違う”とは言い切れないはずだ」
身も蓋もない事をズバリと言われて続ける言葉が出て来ない。
「歴史書に載っている事を決めつけるのではなく、自分たちであれこれと想像した方が楽しくはないかね?」
「フィクションを追及しようという人は居ないと思いますよ。歴史に未来の事は載ってないんですから」
男性は僕の言葉を聞いて大いに笑った。そんなに笑う事でもないと思うが……。そう思っている僕をちらりと見てから男性は話を続ける。
「例えば……これは西暦二百二十年の話としよう。左慈は以前曹操と会っていたが、その後再び曹操の許を訪れ曹操にこのままだと生命が残り幾ばくもなく己は死ぬであろうと告げた。死ぬ事が怖いとは思わぬ曹操だが、まだやり残した事が山のようにあった。生きる為には自分と同じ修行を続け身体を清める他に道はないと左慈は言ったのだ。『お前のその力は惜しい』と。
左慈が曹操に弟子を勧めた事を君たちも三国演義で読んだだろう。曹操は本当に左慈の弟子となって長い修行に出た……という物語は面白いと思わないかね?」
「三国演義は正史を元にしていますが平話や講談を取り入れた作り話も多々あります。だから貴方の話は妙です」
「妙だが事実を書いている時もあるかもしれないではないか」
「貴方は小説家ですか?」
「私は小説家ではないよ。同じ作るなら韻律の方が面白い。それよりも話の続きをしよう。曹操の墓が何処にあるのか、まだ発見されていない事はご存知だろう。さて、その墓に入っている者は本当に曹操なのだろうか?」
「貴方も墓自体は見つかっていないと言っているのだから、誰にも分かりませんよ」
友がぶっきらぼうに答えに男性はゆっくりと頷く。
「勿論そうだ。ある日ふいに一国の王は方術の士と連れ立って仙人になる修行に出てしまった。その事を知る一部の者たちは大慌てした。何人にも漏れてはなるまい。ひた隠しして曹操とそっくりの影を立て貫き通す事とした。呉と蜀が虎視眈眈と魏の隙を狙っているのだからそうする以外に道はない。後継者の事をさっさと決めてうやむやにするはずが今度は影まで急死してしまった。曹操が別人だった真実が露見せぬよう墓さえも永遠に葬る必要があった。墓に携わった者は皆首斬られた。その中に万一生き残りが居て墓の位置や中身を子孫に伝え現代で発掘される事があったら別だがね。ただし見つかったとしてもそれは影の墓だから曹操本人のものではない。
そうすると曹操の本当の墓は何処にあるのか?いやいや、それ以前に曹操の墓はこの世にはないのだよ。曹操は死んじゃいないのだから墓が存在する訳はない。今後も見つかる事はないし、曹操の墓が未来永劫作られる事はない……という訳だ」
「曹操の墓が存在しないなんて有り得ないし根拠もないじゃありませんか」
「ちょっと待てよ」
友の納得いかない言葉を僕は遮っていた。
「貴方の話が事実だと仮定して、どうして曹操は跡継ぎにきちんと託さず修行に出てしまったんですか」
「突然居なくなったのは時間がなかったからだ。手紙を残したがいざとなったらそういうものは何の役にも立たない。曹操がもしも脳の病気にかかっていなかったなら、方術の士の道を選んではいなかったかもしれない。今の医学ならば色々な療法が行なえたろうが、そういう時代ではなかったのだ。考えてもみたまえ、もしもまだ華佗が生きていたならば症状を調べ麻酔を行い頭蓋骨を外した手術を行なったかもしれないが、華佗は当然ながら曹操が怒って殺してしまった後だからその時はどうする事も出来なかったのだ」
「だから曹操はヒドいヤツだと言っているんです。結局最愛の息子の曹沖も助けられなかった」
「………そうだな。歳を経て疑心暗鬼に捕われ過ぎていたのは素直に認めなければならん。後悔してもどうしようもない」
『まるで自分が曹操というような話し振りじゃないか?』
『自分が曹操だと信じているちょっとイカレたオヤジなんだよ』
『どうして煽る様な話をするんだよ!』
『お前だってノってるじゃないか』
僕たち二人は目でそういう意味合いの会話を交わすように見つめ合っていた。
「曹操は不老不死になったのに何故世界征服をしないんですか?」
嫌みとも受取れる様な質問をぶつけてみた。
「三国演義に左慈は三十年をかけ術を体得したと書いてあるが、実際の修行は歳月を要し百年以上を費やした。そう簡単に体得できる術ではなかった。気が付けば魏も滅び西晋も滅びていた。大笑いな話だ。君の言う通り曹操は大陸を、いや世界を、ひとつにまとめようと考えていた。だから方術を学んだのだ。しかし、伝授した左慈はこう言った。
『お前はその力を私欲の為に使うつもりで今日まで辛抱強く修行にも耐えて来たかもしれん。儂にはその腹の中までお見通しじゃ。いずれ気が付くだろうが、その力は私利私欲の為には使えぬ』
果たしてその言葉通りに曹操は自分の為には一切その術が使えない事を知ったのだ。腹の底を見抜かれている師の許に戻る事も出来なかった。己を知る者も無く帰る場所も無く、ただひたすらに長い月日をかけて世界を巡り、色々な事に影ながら関与したが、そもそも仙人という者は自分の方から人間には関与しないものだ。曹操はその事にやっと気が付いた」
「曹操は慈善活動をこっそり千八百年もやって来たという事ですか?想像つかないですけど、曹操が慈善活動なんて」
「面白い事や良い人々に沢山出会っただけで慈善活動ではないだろう」
「曹操が生きて居ると分かったら凄いニュースだけど、誰も曹操だと気が付いていないとしたら……切なくないですか。僕だったら切ない気がしますよ」
「不老不死とはそういう事だ。始皇帝がもしこの力を得たとしても同じ事になっていただろう」
男性の話がいつの間にかに僕の頭の中の想像を超えて現実味を帯びているように感じられ、何とも言えない位切なくなっていた。どうしてだろう?男性の話す通りに曹操が現在も生きて居る等とても信じられない。
さっき映画作品の話をあえてやったのは曹操を演じている役者がなり切ってみせる為の練習かパフォーマンスなのだろうか?もしそうならば小細工が出来過ぎる。さも自分の事のように話す節々には哀歓が込められているように思えてならなかった。それはどうしてもウソではないように思えた。
「今にして思う。関羽は早々と世を去ったが、世界でこれ程までに拝まれているのに曹操はその足元にも及ばない。まさかこのような時代が来る等誰が想像し得るだろう」
「曹操の業績は今も脈々と世界に残っています。見える事だけが重要ではないと思います。良さを知り尊敬している人も感謝している人も沢山居るはずです。関羽と並ぶ必要などないと僕は思います」
「ヒドいヤツの為に嬉しいことを言ってくれる」
男性は心から嬉しそうに笑いかけ、その隣で友はポツリと呟いた。
「左慈はどうして曹操に弟子になるよう誘ったんだろう?」
「そりゃぁ弟子になれる素質があったって事だろう。素質のない人間に声は掛けないさ。だって始皇帝はあんなに不老不死を望んでいたのに無理だったんだよ」
「始皇帝だってあれだけの広土をまとめる能力があったんだぞ」
「始皇帝には無理だよ。曹操は自分の事だけではなく人を愛して下々の事を考えたりもしているんだ。始皇帝がそこまで考えていたとは僕には到底思えない」
「じゃぁ左慈が『お前のその力は惜しい』と言ったのは文武の事ではなくてそっちの事なのか?」
「あ!師は最初からそのつもりだったのだ!こんな単純な事に気が付かなかった」
三人一瞬にして顔を見合わせていた。
「ではそろそろ私は退散しよう。長々と話を聞いてもらって済まなかったね。君たちと話が出来て本当によかった。有難う。お陰で長年のわだかまりが消えた」
そう言って急に男性は立ち上がったが、僕もついその場を立ち上がって我ながら驚く様な言葉を口にした。
「又会えますか?」
男性は少しだけ驚きながら僕を真剣な眼差しでじっと見つめにこりと笑ってから握手を求めた。
「君たちが曹操の話をした時にまたお邪魔する事にしよう……私が修行を終えていたらの話だがね」
男性は友と僕と交互に握手した。手の平は大きくはなかったが、ふくよかで優しかった。
料金を払って再び店の外へ出てきて僕たちの方を向いて手を挙げた後、くるりと向きを変えて並木道を歩き出した。その後ろ姿を見ながら、僕はふと中国のことわざを思い出した。
說曹操,曹操就到
その後僕たちは大学を卒業してそれぞれ故郷に戻り仕事に就いた。友とは会う機会が無いまま月日は流れているが、相変わらず友も僕も三国志ファンを続けている。
ただ以前は曹操が嫌いだったが、今は何となく違う。
「自分たちであれこれと想像した方が楽しくはないかね?」
その言葉を今も噛み締めるからだ。
また曹操の話をしていたらあの男性は僕たちに声をかけて来るだろうか?
僕たちが男性と同じ位の年齢になった時、是非試してみようと話し合っている。
※現在、西高穴2号墓は曹操高陵であると認定されている。曹操の墓が断定されるのがなんとなく癪に触ってできた話。