紅顔

 我ら劉備・関羽・張飛は姓が異なれども、義兄弟となったからには心ひとつに協力し、困窮する者を救わん。国家に報い、黎民を心安らかにする。同年同月同日に生まれずとも、死ぬ時は同年同月同日を望む。恩を忘れ義に背かぬ事を天地天命に誓う。
 劉備・関羽・張飛は涿県で出会い意気投合し、桃園で義兄弟の結拝の儀を行った。
「これから義勇軍を結成して黄巾討伐に向かうが……その前にやらねばならぬ事がある」
と、劉備は今義兄弟の契りを結んだ義弟達に向かって言った。
「それは何ですか?長兄」
興味津々に関羽は尋ねた。
「関羽、お前は解県で役人を斬った。何とかこの涿県にまで逃れては来たものの、手配書もまだ出回っているだろう。義勇軍で名を馳せれば直ぐに見つかって揉め事にならぬとも限らぬ。お前のような身の丈の大きな男はそうそう居るものではない。しばらくほとぼりが冷めるまで紅で顔の色を変え、頬と顎に髯を伸ばしてはどうか?」
関羽は義兄劉備の言葉ひとつひとつに頷いた。
「後々皆に迷惑をかける事になっては申し訳ない。長兄の言われる通りに致します」
それからの関羽は、何時も懐に紅をしのばせて起きている時も寝ている時も、特に戦で泥まみれになったり水上で戦う時も顔の紅が剥がれてしまわないように気を遣った。髯も伸ばし続け、長く美しい髯となった。

 さてさて、それから長い何月が流れた。三人の義兄弟の周りにも色々な事が起こったが、その甲斐もあって劉備は徐州刺史となっていた。劉備は関羽に言った。
「義弟よ。ようやくお前の顔の紅と長い髯を取り払ってもよい頃合いだろう」
関羽は大喜びで髯を剃り顔の紅を落とした。
「ああ……何とさっぱりとした事よ。素顔がこれ程までに清々しいとは」
しかし、用事で出掛け城内へ戻って来た際に城門で兵に止められた。
「怪しい奴は城の中へは入れぬ」
「馬鹿な事を申すな。儂は関羽だ。怪しい奴とは何事だ!」
「関羽様の名を語る不届きめ!この大男を捕まえろ!」
兵達は慌てて取り囲んで槍を突出している。身動きが取れずにいると、兵はどんどんと加勢を連れ増えていった。関羽は仕方なく乗っていた馬ごと強引に包囲を突破し自分の邸へ戻った。それからしばらく城内では大男の不審者の行方で大騒ぎとなってしまった。そう、全く誰も素顔の関羽に気づく事さえなかったのだ。劉備は紅顔と長い髯がここまでの影響力を持つとは努努思っていなかった。義弟に申し訳ないと詫び、事の顛末に頭を悩ませたがどうしようもない。関羽は再び顔に紅を付け、切っていた髯が伸びるまで付け髭を付けて過ごす他なくなった。
 この後、死ぬまで紅をつけた赤ら顔と髯という風貌を変える事はなかった。

 この物語には、まだ続きがある。

 関羽は荊州で破れ、斬られた首は曹操の元に届けられた。曹操は目を瞑って語る事のない関羽の顔を見て、以前自分の許にやって来た日の出来事を思い出し、大粒の涙をこぼした。そして、ふとおかしな事に気がついて顔と首をまじまじと見入った。首の色と顔の色が違うではないか!そこで初めて、関羽の顔の色が紅で作られた事を知り驚いたが、曹操はその事を黙して語らず、国葬を執り行って関羽の霊を弔った。

⬆︎