孟達の進言

 孟達は魏に帰服するよう城の外から叫んだ。
送った手紙を読まなかったわけではあるまい。何故だ!何故こだわる!お主の姓は元々劉ではない。
矢が降り注ぐ中、上庸城の城壁の上に立つ私の姿を見つめ、魏に来い!と大きな声で叫び続けた。

 孟達よ、お前はまだこの私に進言するつもりか?そのように大きな声を出し、何が言いたい?お前が謀叛しなければこのような事にはなっていない。お前は魏の士となり徐晃と夏侯尚と共に、今この時私を攻め続けているではないか。手紙もそうだ。私の本当の心を、お前は知って言っているのか?孟達よ。
 私はお前のその余計なひと言がいつも嫌いだったのだ。
 事の起こりは、関羽……我が叔父上の助けを拒んだ事から始まった。上庸攻めを任された孟達の援軍として私は兵を率いて共に戦い上庸を落とした。
 丁度その頃、魏と呉は同盟を結び叔父上が守る荊州を両方から攻めたのだ。そのため陸遜と呂蒙の策に陥った叔父上は援助を得られぬまま捕縛され臨沮で首を斬られた。まさかこのような事になると誰が想像しただろう。
私は叔父上ならば何とか切り抜けるだろうと思った。本当だ。叔父上は今までどの戦いにおいてもそうされて来たではないか。麋芳と士仁が謀叛して孤立している事も知らなかった。房陵と上庸を平定してからでも援軍を送るのは間に合うという孟達の進言に納得をし、援軍の要請にはとうとう耳を貸さなかった。叔父上がそこまで追いつめられていると私は読めなかったのだ。

 孟達が再三私に向かって叫んでいる。
士気に関わる。あの者を射かけよ!黙らせよ!私は魏には行かぬ。私には戻るべきところはひとつしかない。孟達、お前のせいで、お前のひと言で全てが狂ってしまったのがまだ判ぬのか。

 孟達は悲しそうな顔をし、声が聞こえる事は二度となかった。

 それから間もなく、魏の攻撃に加え降伏していた筈の申耽と申儀が突然背叛を起こし、体制を整える間もなく私は何もかも失って上庸を脱出し命辛辛成都へ逃げ帰った。私に待っていたのは、ずらりと並ぶ憤怒の相と屈辱の言葉だけで、誰ひとり味方してくれる者はいなかった。
父上、話を聞いて下さい。どうして皆で私だけを責めるのです、魏に降る事も拒み続け、生き恥を晒す事になっても貴男の許に戻って来たこの私を。私は貴男の息子なのです。

息子が父から最後に与えられたものは自ら死ぬ事。

 全てが決まって、思い出が走馬灯の様に駆け巡る今になって思えば、叔父上を見捨てた事から始まった事では決してないと思うのだ。
私は父上と血のつながりはない。だからこそ私は真の心でやって来た。私が劉の姓を名乗った時、皆が喜んで迎えてくれた。後に父上に本当の跡継ぎが生まれてからも、私は劉の姓に恥じない息子である事だけを固く誓った。貴男の息子という事だけでよかった。太子など望んではおらぬ。皇位等要らぬ!どうして誰も信じないのだ。

 孟達よ。お前は厄介者でしかない私を哀れんでいたのだな。いずれこのような最期になると。それならばそれでよい。お前の選んだ道が不忠ではなく正しかったというのならば、思う通りに生きてみるが良い。
私はお前が死んだ時に、その答えを知る事が出来るだろう。

 孟達は世祖文帝や夏侯尚が居なくなり、再び諸葛亮と款を通じた事が露見して司馬懿に敗れ斬られた。

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